あるゴルファーの日記@Thailand

タイに住んでいるあるアベレージゴルファーの日記です。

CPE in March

タイでも日本の公認会計士の資格を維持している。日本の制度と同様、タイでも国家試験を通り、かつ、タイの国籍を有していないとタイの公認会計士としてタイでの監査報告書に署名できない。従って、タイで日本人が独立しても、日本の資格は全く役に立たない。高い会費を払ってまで自分が意味のない資格を維持しているのは、単なる見栄や未練といわれても仕方ないが、社会人になってからずっとこの看板を維持しているので、もはや、社会における自分のアイデンティティの一部であり、看板のない自分をイメージできないからでもある。

資格を維持するためには、研修を受けて年間の必要単位を取得する必要があり、海外からもWebからe-learningで受けることができるが、その中の必須科目で職業倫理というのがある。会計及び監査のプロフェッショナルとして、いかに職業倫理を維持し独立性を維持していくかということを、事例なども交えて説明するものであるが、前職、大手監査法人時代の内部の指向と大きく異なっているため、今でも聞いていて、ものすごい違和感を覚える。

監査法人は、株式会社では無いが、所詮は会社であり、出資者たるパートナーに利益を分配するために組織されている。結果、その組織の目的とするところは株式会社とほとんどかわることがない。そのためパートナー自身の人事評価は、いかに新しい顧客を取ってくるか、いかに既存の顧客の監査報酬を上げるか、いかに効率よく監査を実施してコストを抑えるかということが中心となっている。また、常に収益拡大の機会をうかがい、自分がパートナーとして在籍していたころは、金融であったり内部統制であったりした。今はIFRS導入を新たなターゲットとして収益拡大を目論んでいるようだ。このようなパートナーの業績評価と連動した収益追求主義と独立性を担保するための職業倫理というのは、その根元の部分で矛盾しているような気がしてならない。突き詰めていけば以前の監査法人の上司がいっていたように監査対象の会社から報酬を得て、監査を行なうということ自身が奇妙ではある。例えば被監査会社が銀行の場合、パートナーは、その銀行から融資を受けることができないが、監査報酬はよいのか?その監査報酬の多寡によって担当パートナーは自分の給与、賞与等が決まる。

今更、被監査会社から報酬を得る監査制度としての根本を変更することはできないと思う。制度の矛盾を認めたうえで、監査法人に所属して実際に監査をする会計士の人事評価制度や分配制度が、今のままでよいのか考えるべきとは思う。もちろん一方でモチベーションをどのように維持するか、組織としての適度な成長ということを考えるのも重要では在るが、過度の収益や業績連動は、倫理の教育という以前にある程度規制されるべきであろう。当時の記憶では評価の違いで数百万円年俸に差が出ていたように思う。今はわからない。外見からは変わったとも思えない。残念ながらe-ラーニングの講義ではそこまで立ち入った提言はできていない。(提言することは講義の目的ではないので当然ではあるが。。。)

当時、別に倫理に目覚めていたわけでは無いが、自分は白人型の収益至上経営に違和感を覚えて前の監査法人を退職した。今でも思い出すだけで苦々しい思いに駆られるし、残念なことにタイに来てから提携先での経験で全般的に反欧米的な感情すら抱いている。今、経営者としてもちろん収益や利益のことを考えなければならないが、一方で常に「足るを知る」ということを考えなければと思っている。